矛盾的自己同一

はずれたところからの雑感

チャクラバルティの翻訳のために書いた「訳者あとがき」の一部

また、habitabilityの訳語をどうするかいつも悩んでいたのだが、2023年10月6日に東京大学大学院人文社会系研究科で開催された研究会「サステイナビリティと人文知」で私が報告したときいただいたいくつかのコメントがきっかけになって、「生存可能性」という訳語に落ち着いたことをここに記しておきたい。主催者の堀江宗正氏、さらに研究会中に多くのコメントをしてくれた鎌田東二氏に感謝する。鎌田氏は、チャクラバルティの思考の「予言性」に敏感に反応し、比叡山が荒廃し、白川通には白い砂塵が飛び交っていることを指摘しつつ、惑星的な規模での「生存不可能性」が身近なところで現実のものとなりつつあることを述べ、さらに、チャクラバルティの著作を安部公房の『第四間氷期』(1959年)や『方舟さくら丸』(1984年)と共鳴しうるものというだけでなく、安部公房の再解釈を可能にするものと捉えたのであったが、たしかに、予言性という観点を定めるなら、未来において本書がいかにして読まれるかということも気になるところではある。安部公房が著作を書いていたまさにその期間中に生まれ幼少期を過ごした私が訳した本書を2010年代生まれ以降の人たちはいかにして読むのだろうか。

訳者あとがきというのを書いたのだが、まあここでこういうことを書かなくてもいいかもしれないと思った。ただ、完全に消してしまうのも申し訳ないので、ブログに書くことにした。何かまた日本語で書く機会があればどこかで書いてみたいものだが、最近は機会が失せたので、そうならないかもしれない。habitabitilityに関して英語で書くことがあれば、それとの関連で安部公房を論じることはできるかもしれないが、それはかなり大変そうではある。