矛盾的自己同一

はずれたところからの雑感

ドイツで考えていた


ベルリンはいいですよ。僕が今度話すスペース「diffrakt」の人とさっきまで話していましたが、パレスチナイスラエルをめぐる論争や気候危機をめぐる論争が百花繚乱だそうで、でもまあ、インディペンデントな文化スペースも普通に多い。

 

これは、ベルリン滞在中、ある人に送ったメールの一部。

最初ベルリンに来たのは2022年5月で、その次に来たのは同年の9月下旬だった。今回は三度目の滞在となる。今回は、まずはチュービンゲン大学の「intercultural philosophy」というテーマを掲げる研究グループとの関連で講義を行った。 

www.int-gip.de

 

部屋には10人ほどの参加者だったが、ズームには30人ほどいたらしいので、あわせて50人くらいだろうか。話したのは、「西田哲学における奥底をめぐる考察」というテーマである。主催者のNielsさんはじめ、反応がよかった。もちろん英語で書いた原稿を読んだわけだが、日本語ではもはや書くことができなくなりつつある自分にとって、英語で書くということは、生きるための手筈というか、命綱になりつつある。2016年、ティモシーさんと会って話していたとき、ある瞬間、「この人に自分の考えを伝えないと、これまで自分のやってきたことには何の意味もないのかもしれない」と思うようになって、つまり、一方的に考えを受け取るだけの受動的な立場に甘んじているのが楽しくないと感じたのだが、それが自分にとって、英語で書くということの発端の一つになっている。いや違うか、その前に、ベネチアビエンナーレの建築展に関わらせていただくという機会があって、それも大きかったか?それ以来、英語で書くということが、自分の一部になっている。そんな流暢には話せないが、それでも気づいたら話せるようになっていた。留学経験なしでも英語は書ける。

一時間話して一時間以上の質疑応答というなかなかの状況だったが楽しかった。イラン出身の研究者もいて、彼の話を聞くのも楽しかった。参加者との打ち上げも楽しかった。異国の研究者との会話が楽しい。こうやって国外に人間関係を広げることがいずれ何かにつながるだろうと期待して、今は辛抱するしかない。

ベルリンでは、今からになるが、Diffraktというスペースでトークイベントを行う。これも独立系のスペースで、もともとはMerveという小規模出版社のオフィスだったところを使って運営しているところだそうだが、来たことのある人の名前をみるとたとえばLewis Gordonというアフリカ哲学の重要人物がいたり、僕がやったあとにはMarquis Bey という若手の書き手(彼はNahum Chandlerのpara-ontologyについて本を書いている)がイベントに出るそうで、その意味では、かなり独自の重要な知的拠点になっているみたいだ。このアングラでインティペンデントな感じがとても懐かしくて、だから楽しみである。

diffrakt.space