矛盾的自己同一

はずれたところからの雑感

三木清の「構想力」について、ちょっとだけ思いついたこと

三木清の「構想力の論理」が岩波文庫で出ていたので少しだけ読んだ。なぜかというと、この数ヶ月ほど、自分より20ほど若い人たちと交流する機会があって、それで三木清がよく読まれているというので、読んでみた。三木清はたぶん「哲学入門」や「人生論ノート」をそれこそ高校生か予備校生の時に読んで、講談社学芸文庫で出ていた教養論のアンソロジーを五年ほど前に読んで、それ以来読んでいなかった。西田や西谷ほどの深みはないなあとか思って関心を向けていなかったのだが、90年代生まれ世代の若手と話していたら、技術論や構想力を考え直すことの大切さが話題に上り、さらにYuk Huiもそこに関心むけているという話になって、それで読んでみた。

 

冒頭で、「ロゴス」と「パトス」の結合という話がでてくる。論理的なものと非論理的なもの、それが分裂し、後者が前者を圧倒するということなのだが、その状況において、「結合」はいかに可能か、と問うている。自分の考えでは、論理的なものと非論理的なものが分裂したまま併存し、前者は空論と化し後者は狂気と化するというのはいかにも近代日本の宿痾という感じもあり、それは今もなお克服されざる課題で、そこに技術についての考察を入れ込むことで調停というか融和を試みるというのはとても重要に思った。ただ、三木清がさらにすごいのは、その二つを対立物の弁証法的統一といった形式論理で処理することの虚しさもわかっていて、行為すること=ものをつくり、世界を実際に変えていくことの大切さに着目し、のみならず、「我々がそれによって物そのものに触れる感覚」からの行為と思考の大切さに着目している、ということである。

 

しかも三木は、英仏独語のすべてにおいて堪能だったようで、当時まだ未邦訳の文献にアクセスし、それこそヴェブレンの議論やサルトルやマリノウスキーやソレル、ジンメルなど、大量に読んでいたみたいだ。インターネットもない時代に、よくぞここまで調べたものだと感心するよりほかにない。

 

さらに、三木清が「構想力の論理」を書き始めたのは、1937年、つまりは彼が40のときで、死んだのは1945年、つまりは48である。普通に生きていたら、1960年のときは63歳。1970年には73歳。1989年まで生きたとしても92歳であった。三木清は昭和の終わりをいかにして感じただろうか。